2021.10.18 ストレイテナー “Crank In Tour” at KT Zepp Yokohama

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失われていく季節に始まる音楽

ここ2、3日で、東京近郊は急にぐっと気温が下がった。昨日おとといは空模様もいまひとつだった。けれど今日、在宅勤務を切り上げて家を出ると日差しは思いの外穏やかで、夕刻が迫る黄昏色の気配が早々に滲み、肌寒さは覚えながらも外の空気の心地よさを感じられる柔らかな時間がそこにあった。

ああ、なんてテナー日和なんだろう、と思った。
ストレイテナーの音楽が似合う秋が、冬が、色のない季節が、やってきたのだ。

普段ライブに行くからという理由で直前にそのアーティストの曲を重点的に聴くようなことはあまりしないのだけれど、今回は最後にライブを見た時からかなり日が空いていたので、さすがにここ数日はテナーの曲を意識して聴くようにしていた。
ちなみにApplause Tourは残念ながらチケットをご用意してもらうことができなかったので、最後にストレイテナーを生で見たのは2019年の12月だった。今日は約1年10ヶ月ぶりにライブハウスで彼らを観ることになる。

そんな普段しないようなことをしていたせいで知らないうちに緊張していたのかもしれない。KT Zepp Yokohamaの最寄駅の新高島で降りるつもりだったのに自分が乗っていた電車が急行だったことに気がついていなかった。はっとした時には、次はみなとみらい、という車内アナウンスが流れていた。いきなり電車を乗り過ごすという幸先の悪さに若干萎えたが、まあ歩けばすぐだしいいや、と 早々に気を取り直した。

いちょう通りに出てみなとみらいの街を歩くなんていうのは珍しいことでもなく、すでに何度も体験してきたことだけれど、どこか妙な懐かしさを感じた。
テナーのツアーで名古屋や大阪をはじめとして、一人で馴染みのない街を歩いていた時の感覚が蘇ってきたからだった。どこに行ったのも、たいてい今くらいの季節だった。

***

エンタメ業界が未だ苦境に立たされ続けている今日この頃、ライブも徐々に開催されるようになってきた現在、2021年10月18日。
20年3月にオープンしたKT Zepp Yokohamaに来るのは初めてとはいえ、8月にMONOEYESとACIDMAN、今月の初めにもmillenium paradeの東京ガーデンシアター公演に足を運んでいたのでライブハウス自体久しぶりというわけではなかったはず、なのだが。会場に着いた途端、
「ああ、帰ってきたな」と思った。

テナーのライブにはもう10年以上通っているので、確かに行けば誰かしら知り合いがいることが多い。
でも、誰にも会わなくてもどこか安心感があるのは何故なんだろう。なんでこんなに、やっと戻ってこれたって思ってしまうんだろう。
Doshの「Mpls Rock and Roll」から「STNR Rock and Roll」にSEが変わってから随分経つのに、未だにサウンドチェックで流れる「Um,Circles And Squares」のイントロを聴いて、開演が迫ってることを実感するだけで胸が苦しくなるのはなんでなんだろう。

ステージに現れたひなっちのこぼれる笑顔を見た。
シンペイのドラムは全身全霊で、やっぱり「人が一つ叩いて命」の人だなと思った。
ホリエアツシの歌声は相変わらず伸びやかで唯一無二の宝物だった。
OJのギターが自分はここに居る、と示すように鳴っていた。

ストレイテナーの音楽が今ここで、いまの自分のすぐそばでリアルタイムに鳴っている。

ああ、
私はこの人たちのライブをずっと観たかったんだ。
この人たちの音楽にずっと焦がれていたんだ。
この音楽を鳴らすこの人たちにずっと会いたかったんだ。
自分の中で揺るがずにずっと聴きたかったんだ。
ずっと、待っていたんだ。

ちゃんと自分の中に在り続けていたんだ。

そう認識したら、演奏開始30秒で涙が出ていた。
5曲目くらいまでずっと目を拭いながら、ひなっち側の席で観ていた。

***

細かいセットリストに関してはいかんせんツアー初日なのと、
自分がネタバレを喰らいたくない派の人間のため書くことはできないけれど、とにもかくにも「これは今しかできない、今だからこそのセトリだろうな」と感じた。
彼らを信頼して待って、会いにきた人たちをずっと思って、私たちが今までどんな曲を聴いた時に表情を変えていたのかを思い出しながら考えてくれたのだろう。
きっと彼らの思惑通り、私も新旧入り混じったあんな曲やそんな曲を聴きながら、今までテナーのライブを一緒に観てきた、事情があって来れなかったけど大好きな人、もう進んで会うことはないけど今日ここにきっといる人、色んな人のことを思いながらステージを見つめていた。

テナーは元々MCでベラベラ熱く語るタイプではなく、たまにホリエが思わず目が潤んでしまうことをひと言ふた言さらっというくらいで、その代わりに曲で真っ直ぐに想いを伝えてくるタイプなのだけれど、改めてそういうバンドだったな、ということを思い出した。
どストレートな歌詞が乗せられている曲を序盤からバンバン畳みかけられればそれは涙を拭う手も止められない訳である。

個人的に特にグサグサにやられたのが、中盤で披露されたとあるちょっとだけ懐かしい、テナーの持ち味である鈍い光の輝きがこれでもかというほど凝縮されたようなサウンドが全開な大名曲だった。
ホリエの歌声が乗った瞬間、カッターナイフが薄い紙をスルリと裂いていくように自分自身が切り裂かれたような気がした。切実を願うような叫びだった。
けれどその痛みは私の痛みではなく、他でもない彼ら自身の痛みでもあったのではないのかと解釈した。私がずっと待っていたように、彼らも出口の見えない日々を待ち続けて苦しんでいたのかななんて、思ったりした。

***

もう人生の半分近く彼らの曲を聞いていて、曲ごとに一番聴いていた頃のことをセットでよく思い出すから曲に自分を投影したりする。もはや好きとか大事とかの次元ではない。でも自分そのものとか、歌詞に自分を重ねて人生とかいうのも違う気がする。
「ライブ」はいつでも誰でも自由でいられる場所だし、音楽はいつもそばにいてくれるものな気がする。
けれど、テナーのライブを観ていると、たまに音楽はあくまで音楽で裏切ることもないけど味方になるものでもない、ただそこにあるもの、でも生身の人間が精力注ぎ込んで生み出したものだ、と痛感する時がある。

結局自分にとってのストレイテナーの音楽ってなんだろう。
そんなことを考えながら観ていた。
いつもテナーを観ながら、何度も考えてきたことだった。
答えはまだ、見つけられていない。

音を浴びる中で、ほんの少しの距離の先に生身の彼らの体温があることをより鮮明に感じるような2時間だった。

***

ちなみに本編最後の曲とアンコール1曲目はテンションがブチ上がった。アンコール1曲目は野生の勘が働いたおかげで反応めちゃくちゃ早かった。気がする。叫び声を上げるのはギリギリで堪えた。

心配を背負いながら、信頼を胸に。
会場に足を運ぶことに迷いがない訳じゃなかった。
それでも願わずにいられなかったのは、
いつかのライブで、信じていこう、一緒に行こう、と、思いが一方通行じゃないことを明確にしてくれた過去があったから。

おかえり、ただいま。
元気でなにより、会いたかった。
身体にはじゅうぶん気をつけて、
いつでも帰りを待ってるよ。

それじゃあ、いってらっしゃい。

的な。

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